傷つきを忘れる二つの方法

 さて、前回は「いただきます」「ごちそうさまでした」を言うといった「行儀」と、食料の生産から販売までの「システム」というものが、「食べる」という行為につきまとっている暴力を私たちの心から忘れさせてくれる大切な働きをしているということを見てきました。この「行儀」と「システム」というものは、「傷つく」や「傷つける」といったことを考える上でとても大切なことなので、もう少し詳しく考えてみたいと思います。

 「行儀」も「システム」も暴力を忘れる方法だという点では同じなのですが、ここで注目したいのは、この二つの方法の忘れ方の違いです。「行儀」と「システム」は、本来その忘れ方に大きな違いがあるのです。どういうことでしょうか。

 食事を前にしてきちんとした姿勢で手を合わせるとき、少しはりつめた緊張感のようなものが心の中に現れてくる経験をしたことはないでしょうか。また「いただきます」を言い終えた後、すっと胸のつかえがほどけるような清々しい気持ちになるという経験をしたことはないでしょうか。これらの経験は、そう意識するしないにかかわらず、暴力的な場面をくり返すという意味合いを持っています。魚釣りの経験がある方には、何となくお分かりいただけるかもしれませんが、「いただきます」の感情的な経験は、魚が針にかかって格闘するときの緊張感と釣り上げたときの清々しい感覚といった感情的な経験と実は深いところで通じています。「いただきます」という「行儀」は、魚釣りという魚を傷つける行為の中の緊張感と清々しさを、私たちの心の中でくり返させているのです。「行儀」あるいはもっと正確に言うなら「儀礼」という行為には、そういう暴力的な場面をくり返し、私たちの心の中に生じる感情を落ち着けるという働きがあります。暴力的な状況そのものを忘れてしまうのではありません。むしろ、その状況をもう一度わざわざくり返すことによって、感情を落ち着かせるという作法をとるのです。これが、「行儀」による忘れ方の特徴です。

 一方、「システム」はどうでしょうか。「システム」の場合は、取り除くことによって忘れるという方法をとります。スーパーでパックに詰められ、きれいに陳列された魚の切り身は、魚釣りの暴力的なものを上手に取り除かれ、品物に変えられています。「システム」は、暴力的な状況を取り除くことによって忘れようとするという特徴があります。つまり、暴力的な場面を見ないようにすることによって、忘れようとするのが「システム」の戦略です。 この二つの忘れ方の違いは、実はものすごく大切なものです。

 しかし、この違いが「人を傷つけてはいけない」という話とどのように関係するのでしょう。いよいよ本題です。次回からは、私たちは「傷つく」「傷つける」という問題とどのように向き合っていったらよいのかさらに深く考えていきたいと思います。

(次回につづく)

畠山正文

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