どっちが好き?

心ってなんだろう? 2/10

とある「ぼく」のストーリー 1

小学校低学年のころにぼくはお母さんにこんなことを聞いたことをふと思い出した。

「チエちゃん(5歳のぼくの妹)とぼく、どっちが好き?」

お母さんは少し顔をゆがめて
「どっちも好きに決まってるじゃない。」
とこたえた。

「…うん!」

そう言ってぼくが笑顔を見せると、お母さんも笑顔になった。
でも、ぼくの心は何だかゴチャゴチャした。
ぼくのことも好きって言ってくれたのはうれしかった。
でも、やっぱりチエちゃんよりぼくの方が好きなわけじゃないんだとわかってさびしい気持ちにもなった。
うれしい気持ちとさびしい気持ちの両方が代わるがわるぼくの心を行ったり来たりした。

 この小学生のころの「ぼく」が体験したお母さんとのささやかなエピソードをどのように感じられるでしょうか。

 親子関係だけでなく、恋愛関係や友人関係においても、この「どっちが好き?」がテーマになることがあります。そもそもどうして私たちは誰か大切な人に「どっちが好き?」と聞きたくなるのでしょう。

 もちろん、このときの「ぼく」のようにゴチャゴチャした気持ちになることばかりではありません。もっと素直に「お母さんはぼくのこともチエちゃんのこともどっちも好きでいてくれてよかった」と安心したり、納得したりできることもあるでしょう。

 しかし、たいていの場合「どっちが好き?」という質問を投げかける時点で、相手の自分に対する愛情や親密さに少し不安を感じていることが多いものです。愛情や親密さとは本来「伝わる」ものであって、「伝える」ものではないからです。「どっちが好き?」と聞く時点で、「言葉で伝えて欲しい」と感じる時点で、本来自然と伝わってくるはずの愛情が何だかもの足りないと感じているのではないでしょうか。

 この「ぼく」の場合もそもそもお母さんが「ぼく」のことを本当に好きなんだろうかと不安に感じているからこそ、「やっぱり…」という言葉が出てきました。日ごろのお母さんとのかかわりの中で、「ぼく」にとって「やっぱり…」と思わせる何かがあるのでしょう。

 お母さんの「どっちも好きに決まってるじゃない。」という「伝える」言葉と、日ごろのお母さんの態度や表情などから「伝わる」思いのずれ。「ぼく」は、このずれに直面して、ゴチャゴチャした気持ちになっています。

(次回へ続く)

畠山正文

コメント

タイトルとURLをコピーしました