持続可能なこころ vol.9
SDGsという国際的、国家的な目標は、わたしたち一人ひとりの心の持続可能性と深い部分でつながっているのではないか、という問いに、とりあえずの答えを見出せる段階にきたでしょうか。
言うまでもありませんが、最近になってわたしたちがSDGsというスローガンを掲げて、環境や社会の持続可能性をこうして高らかに叫び始めたのは、これまでの環境や社会との向き合い方では、環境も社会も持続不可能になってしまうのではないか、という不安に基づいています。もちろんこの不安は大切です。こうした不安が、新たな課題や目標を見つけ、人々の活動や活躍を起こすための原動力になるのですから。
しかし同時にわたしたちがよく理解しておかなくてはならないのは、持続とは「ゆらぎ」であるということです。わたしたちは、不安や恐れが強くなると、身体や心が硬く強張ります。これまでの環境や社会とのかかわり方が少しずつ変化しSDGsが社会的に叫ばれるようになると、それに反している人たちに対して、否定的で批判的で頑なな態度をとってしまいます。またSDGsのことに限らず意見や価値観が異なる人に対する態度もまた、頑なになっていきます。持続が「ゆらぎ」であることを忘れ、他人にも自分にも厳しく冷たい「がまん」を強いてしまいます。そしてそれは、希望に支えられた「がまん」ではなく、不安に強く裏付けられた「がまん」です。Aさんはうっかり油断してしまうと気分が落ち込んでしまう不安に捕らわれていました。だから、「いつも笑顔」という頑なな「がまん」を自らに強いたのでしょう。そしてこの不安に裏付けられた頑なな「がまん」こそが、「セリグマンの犬」のような絶望や無力感を生み出し、近年ではメンタルヘルスに苦しむ人たちを加速度的に生み出している原因になっている、とわたしは考えています。
「石の上にも三年」座り続けた達磨さんは、大自然の中の「ゆらぎ」の持続を体感するために、石の上に座り続けました。達磨さんの身体を支えている硬い石もまた、いつかは削れたり、崩れたり、壊れたりするのだということも判りながら。わたしたちのおじいさんやおばあさん、あるいはもっと上の世代のみなさんが、明日は今日よりもっとよくなるという希望や期待に強く支えられながら必死の「がまん」をして作り上げてきた道路も橋も建物もすっかり老朽化してきています。自然環境や社会のシステムや制度も限界を迎えつつあると考えられています。大きな「ゆらぎ」の時期です。SDGsはこの「ゆらぎ」に対応して生まれてきました。そうした時期だからこそ、達磨さんのように肩の力を抜いて、穏やかに落ち着いて、わたしたちの心の中の小さな「ゆらぎ」に耳を澄まし、不安と希望の行ったり来たりをきちんと体験することが大切なのではないでしょうか。しっかりと丁寧にゆらぐことが、わたしたち自身の心の持続可能性を高めます。そして、そんな小さな持続可能な心たちが、やがてSDGsという大きな目標へと道を切り拓くかもしれません。
(終わり)
畠山正文
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