こんなはずじゃなかった

根っこと翼 vol.5

 私が尊敬して止まない、カウンセラーの大先輩、河合隼雄が遺した言葉にこんな言葉があります。「灯台に近づきすぎると難破する」。人生という航路、望みや理想を掲げて航海を続けていくことは、果てしない大海原をあてもなく漂流するよりも、ずっと素敵なことです。しかし、望みや理想に急激に近づきすぎてしまうと、それは、灯台に向かってどんどんと近づいてしまうようなもので、座礁や難破を招いてしまう――これがこの言葉の意味です。望みや理想は灯台のようなもので、航路を明るく照らしてくれることはあっても、決してそれ自体は到達点ではないので、むやみに近づきすぎてはいけません。

 さて、かつてはこのように、灯台が大海をぼんやりと照らし、航海を続ける明確な意志と、自らの知識や経験値、直観などをフル動員させて、船乗りたちは主体的に航路を決めていました。そこには危険もたくさんあったに違いありません。いやだからこそ、成功したときの喜びや達成感はいかばかりだったろうか、と想像できます。河合隼雄が活躍していた20~30年前から時は流れ、現在にはGPSという技術が広く一般化してきました。灯台に照らされた海を見るのは船長ではなく、はるかかなたの人工衛星に搭載された超高性能の送受信システムです。船長はただそれに従います。もちろん万一の時に備え、船長という人間が、状況を分析し対処をして危機やリスクを回避することはあります。しかし、自分で主体的に判断し決断している範囲は、かつてよりもずっと狭くなっています。こうした状態で航行が首尾よくいったとしても、その喜びや達成感は、かつてと同じものでしょうか。

 船の航行だけではありません。自動車や電車、飛行機といった交通はもちろん、私たちの人生の航行でさえも、GPSのようなあらゆるシステムに取り囲まれています。このように人生を歩むのが一番安全だ、という方向性や価値観、方法論が広く行き渡り、そこから少しでも外れてしまうと、座礁や難破のような体験になってしまいます。現代を生きる私たちが、何らかの失敗やミスがきっかけで大きな絶望や憂うつを経験してしまうのは、こうしたシステムや情報による取り囲まれから生じているという面も実はあるのです。

 おかしいと思いませんか。私たちが技術を身に着けたのは、自由になるためだったはずです。動物とは違って、空を飛んだり、速く走ったり、遠くの誰かとコミュニケーションをとったりする能力を技術によって実現したのは、動物よりも自由になるためだったはずです。ところが、今や技術によって、不自由になってしまっています。技術が合理的で正しいと見なすものによって、私たちの自由が逆に奪われてしまっているのです。こんなはずじゃなかった――この心情が蔓延していくことによって、私たちはかつてのように純粋に「望めば叶う」という信念にパワーが感じられなくなってしまっていると言えないでしょうか。それだけではありませんが、それも大きな理由です。

(次回に続く)

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