希望が不安を増幅させる?

不安について考えよう(4)

 希望と不安は、どちらも想像力が関係しているけれど、希望のほうは、(Youtuberやサッカー選手を目指す子どものように)道筋がはっきりせず、今後どうなるかわからないような目標に向かって想像力をどんどん広げていくのに対し、不安のほうは、(公務員や会社員を目指させたがる大人のように)道筋のはっきりしている確実なものへと安定化するために想像力を限定しようとする動きが生じるという、全く対照的な面を持っているのでした。ここで大切なのは、不安という感情を体験することで、わたしたちは想像力を狭め状態を安定させようとするのだという点です。

 わたしたち人間は他の動物たちに比べ、はるかに優れた想像力を獲得したために、想像力を大きく広げ希望を持って、不可能に思えるようなことにも果敢にチャレンジし、新たな道を切りひらき、高度で複雑な文明や社会を作り上げてきました。またその一方で、想像力を広げ過ぎると危険やリスクもそれだけ大きくなってしまうため、そのようなときには不安という感情が自然と生じ、想像力を狭める方向に舵を切ります。公務員や会社員に目が向く現代の親世代の心は、こうした想像力を狭める方向に自然と動いています。不安を通じて、わたしたちはリスクや危険をできる限り避けようとするわけです。このように、希望も不安も、どちらもわたしたち人間にとって必要不可欠な感情です。ですから、不安という感情を、ただいたずらに遠ざけるのはあまりよいことではありません。また場合によっては、不安を遠ざけ希望を持たせようとする努力自体が、さらなる厄介な問題を次々に引き起こしてしまうこともあるので、注意が必要です。

 その極端な例が、妄想や強迫といった、不安と深く関連する精神症状です。こうした精神症状の特徴は想像力が極端に狭く限定的な内容に絞られてしまうために生じる問題です。そして、こうした精神症状は想像力を極端で限定的な内容に絞ることによって心の安定をもたらそうとする、その人の心の必死な努力の賜物なのだという点への理解が大切です。

 まずは、妄想のほうから考えてみましょう。例えば、「わたしは(職場やクラスなどの)全員から嫌われている」といった訴えをされる方がいたとします。この訴えを第三者が耳にすると、「そんな大げさな。全員ってほどではないでしょう」といった感想を持ちます。そして事実、全員から嫌われてはいなかったりもします。だから一般には「そんなことないよ。あなたのことを好きな人もたくさんいるし、何とも思ってない人もいるよ」などと声をかけることになるでしょう。しかし、この声かけは「そんなふうに決めつけなくても、実際はどうなのかわからないよ」という意味のことを言っているわけなので、先ほどの希望と同じく想像力が拡散する方向に作用します(実際、本人に希望を取り戻して欲しいという意図を持って助言していたりします)。この不安を遠ざけ、希望をもたらそうとする働きかけは、働きかけている人の意図に反してさらなる不安を増幅させることになります。本人からして見れば、せっかく「全員から嫌われている」と妄想的に決めつけることによって(つまり、想像力を固定させることによって)心の安定を図ろうとしているにもかかわらず、その想像力を再び拡散させられてしまうからです。こうして本人はその拡散に抗うために、ますます強固な妄想の中に閉じこもることになります。

(次回に続く)

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