心のはみ出し

心ってなんだろう? 7/10

とある「ぼく」のストーリー 6

32歳になる年の春、ぼくは係長に昇進した。

初めて自分の部下の管理をするという立場になった。

初めのうちはこれまで後輩に接していたのと同じように、部下に対しても関わればいいのだと思っていた。わからないことは優しく教えてあげて、忙しくしていたら仕事を手伝ってあげて、飲み会の時にはお金を少しだけ多く出して…。

和気あいあいとした職場になるよう、ぼくは努力した。

職場の様子が大きく変わったのは、ぼくが33歳になったばかりの秋のことだ。

会社の大きな組織変更があり、ぼくたち営業部は別の部と一緒になった。

ぼくの上司の課長も部長も変わり、部下もほとんど変わった。

仕事内容はほぼ同じだったが、人間関係は一から作り直し、という状況になった。

これまでの人生でぼくは人間関係であまり深刻に悩んだことがない。だから今回も大丈夫だろう、と軽く考えていた。

新しい職場には51歳の男性の部下がいた。自分の父親とあまり変わらない年齢の部下。

でも、仕事をちゃんとしていれば、部下はついてきてくれると信じていたので、あまり気にしなかった。しかし、その人は全く仕事をしてくれない。

みんながイベントの準備で遅くまで残業をしていても、5時になったらさっさと帰ってしまう。若い部下たちの愚痴を聞くことが多くなった。

その人とトラブルになって辞めてしまった若い部下も1人ではない。どんどん人手が足りなくなる中で、その人と周りの仕事量の差は歴然としていき、そのことでいっそう職場の雰囲気は悪くなった。

おまけに、課長とその人は、過去にもめたことがあったらしく、課長に相談しても「お前がうまくやらないのが悪い」と言われる始末だった。

 人の「心(こころ)」が本当に成長するときというのは、社会的な衣装という「形」から、ゼリー状の「心」がはみ出して、つらく苦しく感じるときなのではないでしょうか。しかしそれは同時に、状況によっては「心」へのダメージが深刻化してしまうリスクと隣り合わせのときでもあります。

 「係長」という社会的な衣装が51歳の部下の前でどうにもうまく着こなせないこの「ぼく」にも、つらく苦しい時間帯が訪れているようです。

 わたしたちが生活するこの日本社会は、ある秩序に従って順に社会的な衣装を着せるという慣習を採用し、「心」のはみ出しができるだけ起こらないように防いできました。その一つが年功序列です。33歳の上司が51歳の部下を持つなどということが起こらないように、仮に起こったとしても上司にあまり責任が生じないように、うまく慣習や制度を整えてきました。これは、日本らしい、一つの「心」の抱え方、衣装の着せ方でした。

 しかし、この「心」の抱え方や衣装の着せ方ばかりでは、世界の厳しいグローバル競争を勝ち得ない状況になってきました。こうしてしばらく前から日本社会は、伝統的な「心」の抱え方や衣装の着せ方と、新しいそれらとの間のあまりに大きなギャップによって、この「ぼく」のような「心」のはみ出しを様々な場面で生み出し続けています。それはまさにちょうど「心の時代」という言葉が人口に膾炙されはじめたころから始まり、現在はその状態が日本社会の全体へとどんどんと拡大し深刻化してきています。

(次回へ続く)

畠山正文

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