心ってなんだろう?

心ってなんだろう? 1/10

 「お心遣いありがとうございます」「あの人の言葉は心に残る」「この教訓を心に刻んで」「心からの感謝」「心のこもった贈り物」など・・・「心」という言葉をわたしたちは日常的によく使います。

 しかし、そもそも「心」って一体何なのでしょう?

 もちろん、本棚の辞書を開けば「人間の精神作用のもとになるもの。また、その作用。」とは載っています。けれども、わたしたちがしばしば「頭ではなく、心でわかる」と表現するときの「心」についてまさに「心で」わかろうとするとき、この辞書的な表現では十分にはわかりきれないように感じないでしょうか。

 わたしたちの「心」は、わたしたち一人ひとりの生活や、一つひとつの振る舞いや表情や息遣いに、さまざまな姿や形をとって現われてくるものであって、わたしたちを離れてどこかに抽象的な何かとして存在しているわけでは決してありません。

 ずいぶんと長い時間をかけて、心理学が学問として発展し、わたしたちの社会や生活の中に、「ストレス」や「心の発達」、「トラウマ」といった心理学用語を広く浸透させてくれました。このことによって、救われた人、解放された人、癒された人がたくさんいたことは間違いないですし、今もそしてこれからもそうした人たちが多く出てくるだろうことも、おそらく本当のところでしょう。

 しかし、最近では同時に、こうした巷にあふれ続ける心理学用語によってかえって苦しまれる人もまた、多くなってきているように思います。「どんなに努力してもこのストレスから解放されない」「自分は正常な発達をしていないからダメだ」「あのときのトラウマのせいで私は絶対に幸せになれない」など・・・自分の「心」の状態を、わたしたち自身の生活や振る舞いから切り離された、一般的で抽象的な心理学用語に当てはめようとすることで、ますます苦しんでいらっしゃる方がずいぶんと増えているように思われます。本来自由なはずの「心」が、まるで「言葉」や「頭」にすべて支配されてしまっているような、そんな印象を抱きます。わたしたちは、専門家たちがあれこれと並べ立てる心理学用語に、わたしたち自身の「心」をそんなにやすやすと当てはめてしまってよいのでしょうか。

 そもそも「心」って一体何なのでしょう?

 ここでは、10回の連載を通して、この問いに取り組んでいきたいと考えています。「ぼく」と自称する、とある人物の生活や人生や息遣いを通して、じっくりと考えてみたいと思うのです。

(次回へ続く)

畠山正文

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