スマートな傷の痛みを和らげるには

 前回挙げた二つの疑問は同じ問題の両面ですが、ひとまず順に見ていきましょう。まず一つ目。なぜ、私たちは偽装されていると知りながらスマートな技術による親密さを求めるのか。実はこれは、非常に逆説的というより皮肉な状況ですが、現実の人間関係における親密さの方が、スマートフォンの中の親密さよりも、よほど偽物っぽい面を持っているからです。親密さが本物になるのは「だけど」という乗り越えが鍵でした。親密さを偽物と感じるのは、この「だけど」という乗り越えがほとんど起こらず、「だから」ばかりに支配されている親密さだからです。「ケンカしないから仲がいい」「いい子だからかわいい」「優しいから好き」「価値観が合う人だから大切」という具合に、自分にとって肯定的な側面ばかりが親密さを支えている場合、これは非常に脆い親密さだと以前見てきました。時にケンカしてしまったら…、時に悪い子になったら…、時に厳しく叱ったら…、時に価値観がズレてしまったら…、途端にその親密さが崩れ去ってしまうのが「だから」の関係です。私たちの現実の人間関係の身近に、こうした偽物っぽい親密さばかりが目立ちはしないでしょうか。皮肉なことに、私たちの現実の人間関係がまさに「スマート化」し過ぎているのです。いや正確に言えば、私たちは現実の人間関係の中に「スマート化」を求め過ぎているのです。だからこそ逆説的に私たちはスマートな技術の中に本物の親密さを求めます。それが偽装と知りながら。いや偽装であればこそ、そこに安心して本音を吐露できます。なぜなら「遠いけど、近い」と見せかけながら、実は「近いけど、遠い」ということがみんなわかっているのですから。本音を出し過ぎたり、関係が親密になり過ぎたりして、自分や相手を傷つけ過ぎそうになったら、関係をブロックすればよいのですから。

 続いて二つ目の疑問点。なぜ、スマートな技術による偽装された親密さの中に、本物の親密さを求めるのか。この疑問への答えは一つ目の疑問への答えの中にすでにほのめかさていました。スマートな技術による親密さには時に現実の人間関係以上に本物の「だけど」が成立する可能性があるからです。事実、スマートな技術がきっかけとなって、心からの親友ができたり、恋人ができたり、結婚相手ができたり、仕事上の重要なパートナーが見つかったりということの例は、関係がこじれてしまって大きなトラブルに発展してしまう事例と同様たくさん存在しています。偽装された乗り越えが、本物の乗り越えに変わる事例というものも、現実にたくさん存在します。だからこそ私たちはそのような本物の親密さへと発展する可能性を求めて、スマートな技術の親密さにのめり込む場合があります。ネットストーカーや出会い系の問題は、このように本物の親密さを求め過ぎるあまり、問題が深刻化してしまうケースがほとんどです。

 では、こうした点を踏まえ、私たちはスマートな技術という文明の利器とどのように付き合っていったらよいのでしょう。大切なことは、スマートな技術に支えられた親密さはやはりまずは偽装から始まるのだということをよくよく知っておくことです。そして、偽装された親密さを本物の親密さへと深めるためには、警戒心や礼儀はもちろん寛容さと忍耐強さもまた現実の人間関係以上に強く求められるのだということへの自覚も必要でしょう。

 また、それよりも重要で私たちが今真剣に向き合わなくてはならないことは、スマートな技術の偽装に傷つけられながらもそこに本物の親密さを性急に強烈に求めなくてはならないほど、現実の人間関係の中に本物の親密さを感じにくくなっているという、この悲しい現状です。いつも母乳をあげながらスマートフォンを見つめる母、家族の団らん場面で一人スマホゲームに勤しむ父、自室に閉じこもりながらLINEで母親に夕食の注文をする息子…。近いものがどんどん遠くなり、遠いものがどんどん近くなる。この親密さのねじれは、私たちの心を広げるのに役立っているというよりも、どこにも本物の親密さが見つからず孤独を深めることに役立っているようにさえ見えてきます。そしてこうした悲しい現状を抱えた家族は、ほとんど必ずと言っていいほど、「だから」の関係ではもはや親密さをつなぎとめられないという現実に直面しています。かと言って現実場面で「だけど」の関係を深める意味や理由もわからない。この状況を紛らわすには、もうスマートフォンの世界の中の偽装された「だけど」にしか逃げ場がありません。

 私たちが現実の場面で、否定的に思えることや不快に感じられることを、時に心を深く傷めながらも、苦しみ悩みながらも、時間をかけて少しずつ、受け入れたり大切に思ったりできるかどうか。あなたの身近の今不意に思い浮かんだその人やその気持ち、その関係でいいです。この「だけど」の関係を少しでも深めていくことができたなら、それこそが「スマート化」による傷の痛みを少なからず和らげてくれるかもしれません。

(終わり)

畠山正文

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