根っこと翼 vol.4
人間が動物とは異なる大きな特徴のひとつとして、技術を取りあげました。鳥よりも高く飛ぶことも、チーターよりも速く走ることも、イルカよりも遠くの誰かとコミュニケーションすることも、「望めば叶う」という技術が、人間を動物とは異なる存在へと引き離していきました。
「望めば叶う」なんて動物たちは思いません。もちろんお腹が空いたら、獲物を狙うことはあります。この「獲物をゲットしたい」という狙いや目標を「望み」と理解することもできるでしょう。しかし、この狙いや目標は、テリトリーや満腹感といった限界を超えることは決してありません。動物たちはあくまでも自分たちの縄張りの中で狩りを行いますし、自分が満腹を感じたらそれ以上の狩りは行ないません。人間の「望めば叶う」はそれとは似ているようで異なります。自分の住む地域や自分の生活に対する満足感を超えて、人類の幸福や世界の平和といったとても抽象的な望みが私たちの思考や行動を動機づけます。これは、動物たちには決してなし得ないわざです。
私たち人間が、学校や会社を作り出したのも、「技術」と「望めば叶う」を実現するためです。私たち人間は、究極的には技術を学び研究するために学校に通い、技術を生み出し利用し実践するために会社や職場に通っています。ここで言う技術は、空を飛んだり、速く走ったり、遠くまで情報を飛ばしたりといった科学技術に限りません。言葉を操るのも技術ですし、身体をうまく動かしたり、物質や他人や社会をうまく動かしたりするのも技術です。こうした技術を学び、生み出し、実践することを通して、私たち人間は動物がもともと持っている制約や限界を超えて、はるかに自由な生活や生き方を手に入れることができました。メダカの学校が仮にあったとしても、その学校は人間のそれとはずいぶん違うでしょう。メダカの中からまさか宇宙に行くメダカが出てくるかもしれないなんて、メダカの先生は決して思わないでしょうから。「望めば叶う」という心の構えも、技術を学び生み出し利用、実践することを通して、人類や世界といった自分たちの身近な生活からはるか彼方の抽象的な領域により良い未来が待っているという感覚によって培われます。そのとき、そこにはまた、わくわくとした期待や希望が生まれます。
ところが、近ごろわくわくとした期待や希望が私たちは持ちづらくなっているようなのです。「望めば叶う」という言葉も、かつてほどの力を持たなくなっているように思います。もちろん今でも志望校を決めて一生懸命勉強をすれば、合格することはあるでしょうし、目標を決めて練習を頑張れば、大きな大会に勝ち進むこともあるでしょう。目的意識を持って粘り強く仕事に取り組めば、大きな成果に結びつくことは間違いなくあります。「望めば叶う」は確かに今でも息づいています。しかし、かつてほどのパワーがないのです。どうしてでしょう。なぜ、「望めば叶う」は、あまり力を持たなくなってしまったのでしょうか。
(次回に続く)
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