根っこと翼 vol.7
「望めば叶う」という心情は、動物には抱くことができず、人間だけが持っているものでした。こうした心情のおかげで、私たち人間は動物のように自然の摂理にただ従うだけでなく、自然の限界を突破できるような技術を発達させることができました。ところが、高度過ぎる技術や多過ぎる選択肢を前にしたとき、人間は動物どころか植物のように、動くことを止めてしまうことがあります。前回ご紹介した「自由の牢獄」というエンデの短編に出てきた主人公も同じでした。「こんなはずじゃなかった」と絶望し、「どうせダメ」と全てを諦めるとき、人間は外に出て動き回ることをやめ、まるで根っこが生えてしまったかのように、同じ場所にとどまり続けます。
不登校や引きこもり、あるいは様々な身体的、精神的な病気などによって、思うように活動ができなくなることを、私は「根張りの時間」と表現します。根っこをしっかりと張って、大地に自分の存在と活動を支える基盤を作るための時間です。そこまで深刻な状況にならずとも、私たちはしばしば憂うつな気分を体験します。この気分によって、活動を休止し、安らぎを求め、柔らかいベッドやソファーにうずくまりたくなる時、私たちの心は「根張り」を求めています。
動物や人間と異なり、「根っこ」を持っているのが植物の特徴だと以前話題にしました。根っこには二つの面があるのでした。一つは自由に動き回れないため、山火事などの急激で劇的な状況の変化にはなす術がないという否定的な面です。もう一つは、それでも多少の急流や突風などの状況変化にはしっかりと耐え、状況に抗って自分のオリジナルな育ちを支えられるという肯定的な面です。このように、植物の「根っこ」には否定的な意義と肯定的な意義の両方があります。
私たち人間は植物ではありませんので、どうしても動くことや活動することのほうにより大きな価値があると考えがちです。また、植物の「根張り」は地面の中で起こっていることなので私たち人間にはその様子が簡単には見ることができません。ですから、私たち人間は、どうしてもじっと立ち止まっている「根張りの時間」を否定的に捉えがちです。憂うつな気分や不登校、引きこもり、病気など、人間が活動できない時間を私たちは否定的に考えがちです。しかし、植物の根っこが私たち人間にはよく見えないところで確実に活動をしているのと同じように、私たちが経験する「根張りの時間」も心の中というよく見えないところで確実に活動をしているのです。
植物が、「根張りの時間」を経て、強くたくましい幹や枝が育ち、結果としての美しい花や見事な果実をつけるように、私たち人間もまた憂うつで薄暗い「根張りの時間」を経て、自分自身のオリジナルな育ちを実現することができるのでしょう。私はこのことを、「根張り強さ」が「粘り強さ」を生み出すのだと考えています。
(次回に続く)
コメント