ふつうに流れる時間


 なぜ今、アーロン,E.N.という心理学者が言い始めたHSPという言葉が世界的な流行になっているのでしょうか。これは「ふつう」の問題について考えることにつながってきます。

 ところで、アーロンさんはHSPを生き物の進化と関連付けています。HSPのような変化や違いに敏感であることは、その生き物が置かれた環境と深く関連しているそうです。環境にあまり変化や違いが少ない場合、その変化や違いに敏感に気づく個体はエネルギーを消耗してしまいます。一方で、環境に変化や違いが大きい場合、変化や違いに敏感になってきちんと対処できる個体のほうが、生き延びる可能性が高い、と。つまり、進化の観点からみると、環境がどうであるかによって、過敏であることの有利/不利が変わるということです。HSPを持つ人の有利/不利は、環境の変化や違いと関係があると言われているわけです。この環境の変化や違いと、ここで話題にしている「ふつう」とは実は密接な関係があります。

 「ふつう(普通)」は、読んで字のごとく「普(あまね)く通じている」という意味です。この「普く」というのは、変化や違いを超えてというニュアンスを含んでいます。例えば、時間。ストップウォッチを使ってスタートボタンを押してから10秒ぴったりにストップボタンを押すという遊びをしたことはないでしょうか。心の中で10を数え上げてストップボタンを押しますが、この数え上げるタイミングが、人によって、時によって、変化や違いが生じます。だから、たいてい10秒を超えたり、足りなかったりします。そしてストップボタンを押して「10.00」が表示されていたときには、奇跡のような感じがして嬉しくなり遊びが盛り上がるわけです。

 この遊びではそれぞれの人がその時々で10のカウントを心の中で刻む刻み方に変化や違いがあるのですが、その変化や違いを超えて、普く通じている時間があります。それがストップウォッチの刻む時間です。ストップウォッチや時計の時間は、誰がどこでどのように測っても常に「ふつう(普通)」に変化や違いなく流れていると信じられています。だからこそ、わたしたちはこのストップウォッチの遊びを安心してのびのびと楽しむことができます。アーロンさんの言う環境に変化や違いが少ない状態というのは、この例で言えば、ストップウォッチや時計が示す時間の正確さや安定が広く共有されている状態であることを示しています。つまりある環境において「ふつう(普通)」が文字通り「普く通じている」状態にあるということです。このような状況では、HSPの傾向は不利に働きます。「いや、ストップウォッチの時間が必ずしも正確かどうかわからない」などとストップウォッチが刻む時間の不安定さを過敏に気にし始めたら、遊びどころではなくなってしまいます。

 仮にストップウォッチがその時々に気まぐれで時間を刻んだり、ストップウォッチの刻む時間の正確さが普く共有されていなかったりしたらどうでしょうか。その場合には、むしろHSPの傾向は有利に働きます。微妙な変化や違いを敏感に感じ取り、それに振り回されずに行動したほうが安定的であり適応的だからです。しかし、実際にはストップウォッチが気まぐれになることは電池が切れない限りはあまりあり得ませんし、ストップウォッチが刻む時間の正確さを信じられないなどと思う状況は、それこそふつうに考えればあり得ません。そう考えると、HSP傾向が有利に働く状態というのはあり得るのでしょうか。

 このシンプルな遊びを離れ、わたしたちの実生活に注目すると、こうした状態は十分にあり得ます。というよりも実際既に多く起こり始めています。次回以降で具体的に取り上げていきますが、時計が刻む時間と心の中で刻む時間とのズレが大きくなり、深刻な亀裂を生み始めている例には枚挙に暇がありません。そして、そのことがわたしたちの「ふつう」が不通になることと深く関連しています。「ふつう」が不通になり、環境に変化や違いが大きくなっている状況、つまりHSP傾向が有利に働く状況が徐々に生まれ始めているために、HSPという概念がこれほどまでに世界的な流行になってきているのだ、と言えそうです。

畠山正文


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