不安について考えよう(2)
「高所恐怖」のように差し迫った危機を直接感じて生じる感情が「恐怖」であり、「対人不安」のように直接的な感覚がなくとも生じる感情が「不安」であるというところまでが前回のお話でした。なぜ、わたしたちは直接目の前に差し迫ってもいない危機を先取りして気をもんだり、気に病んだりするのでしょうか。そのことに何か意味はあるのでしょうか。
少しだけ話題をずらします。次の3者にそれぞれ、チンパンジーの顔の輪郭だけが描かれている絵と一緒にペンを渡し、その後の様子を観察するという実験がある研究グループによって行われました※。①チンパンジー、②人間の2歳児、③人間の3歳児の3者です。その結果、①チンパンジーと②人間の2歳児では、ほぼ同じような反応を示しました。顔の輪郭の辺りを一生懸命ペンでなぞるという反応(図1)です。一方、③人間の3歳児は、「おめめがない」と言って描かれた輪郭の中に目や鼻などを書き加えます(図2)。このことは何を示しているでしょうか。3歳くらい以上の人間は、「直接目の前に見えないものを予想(想像)する力」を獲得しているということを示しています。
こうした直接感じられないものを予想し、想像する力の有無は、人間と類人猿の狩りの仕方の違いにも現れることが知られています。例えば、人間の場合には難なくできてしまう、狩りに出かけた男たちが集落で留守番をしている女性や子どもにも分け前を持ち帰るという行動が、類人猿ではなかなか難しいようです。すぐ近くにいる(つまり直接見ることのできる)相手に対して分け与える行為は類人猿にもできます。しかし、その場にはいない遠くの仲間にまで獲物を分け与えるという行為は、類人猿にはできません。人間が遠く離れた人も自分の仲間だと感じられる能力は、この直接目の前にないものを想像する(思い描く)力と深く関係しています。
そして、この直接感じられないものを想像する力は、不安という感情とも密接に関係しています。わたしたち人間は、直接見ても感じてもいないものに対して、何かを想像したり予想したりする能力を獲得したがゆえに、恐怖という直接的な感情だけでなく、不安という先取り的な感情も高度に発達させることができたのです。
(次回に続く)
※ 京都大学霊長類研究所 チンパンジーアイ 『想像は創造の母?』
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