不安について考えよう(3)
前回見たように、チンパンジーとは異なり、人間には今目の前にないものを想像する力があります。しかし、想像力があるからこそ余計に強く「不安」を感じてしまうのでした。今回の新型コロナウィルスも、ウィルスが目に見えないだけでなく、その影響(どのように感染し、どのように重症化するのか)も目に見えず、知らないうちに自分や身近な人がかかってしまったら…という想像力が働くからこそわたしたちは余計に不安になります。
ただその一方で、想像力は「希望」とも深く関係しています。例えば、子どもが将来「サッカー選手になりたい」という夢を持つことは、明らかに想像力のたまものです。今目の前にはない未来が、子どもたちの抜群の想像力によって、光り輝ける「希望」として現れてくるわけですから。
さて、同じ将来の夢なのですが、最近では「Youtuberになりたい」「プロゲーマーになりたい」という希望を描く子どもたちも増えてきました。クラレという企業による2020年4月の「男の子のつきたい職業」に関する調査で今年初めて「Youtuberになりたい」がトップ10入りしたとの報道は記憶に新しいところです※。「Youtuberになりたい」という希望は、子どもたちの純粋な希望であるという意味では、「サッカー選手になりたい」とあまり変わらないように思いますが、保護者や先生など大人の立場からすると、「不安」がよぎることも多いようです。「サッカー選手になりたい」と「Youtuberになりたい」という子どもたちの純粋な二つの夢に対する、わたしたち大人の気持ちの違いは、どこから来るのでしょうか。同じ子どもの「希望」にもかかわらず、一方は大人も子どももともに「希望」を描けるのに、もう一方は大人の「不安」につながってしまいます。この「希望」と「不安」を分かつものは一体何なのでしょうか。
まずすぐに思いつくのは、Youtuberに対する心理的な距離が大人と子どもでは大きく異なります。大人たちにとってサッカーを初めとしたスポーツは自身が子どもの頃から多かれ少なかれ馴染んできて直接体験したり、テレビで試合を観戦したりして見知っているものである一方で、Youtuberの動画配信を直接視聴することは現在のところ子どもほど大人は直接体験していないことのほうが多いでしょう。また、Youtubeというメディア自体に、今のところラジオやテレビほどの正統性や権威を大人たちは認めていないということも心理的な距離の大きさに関係しているかもしれません。いずれにせよ、大人にとって、子どもたちのYoutuberになりたいという希望は、その想像された未来がスポーツ選手よりも心理的な距離が遠くよくわからない、取るに足りないと感じられるために、そこに希望ではなく不安を強く感じるということは考えられます。
また、先のクラレが同じく実施している親が将来つかせたい職業に関する調査は、不安というものを考える上で参考になります。その調査では男の子の親が将来つかせたい職業の第1位に「公務員」がきています。「公務員」が上位になる傾向は2000年前後から一貫して続いていますが、注目すべきは「サッカー選手」も含めた「スポーツ選手」が調査開始以来2020年に初めてトップ3から外れた、という点です。これはこういう可能性を示してはいないでしょうか。つまり、人々の間に「不安」が強まってくる(2000年前後からわたしたちの社会には全体的に不安が漂い続けています)と、少なくとも大人たちは、どうなるかわからないもの(Youtuberだけでなくスポーツ選手もまたどうなるかわからない職業の典型)に希望を抱くよりも、どうなるかはっきりしているもの(公務員や会社員のような今確かに安定している職業)にこだわるようになるのだ、と。こうした長い間社会を漂う不安も、余計に子どもたちが素朴に希望を抱くYoutuberに対して、大人たちが不安を強く感じる遠因になっているということも考えられるかもしれません。
人間は、チンパンジーとは異なり、目に見えないものを想像する力を手に入れたがゆえに、将来や未来に希望を描き、大きな発展や進歩を実現させてきました。しかし、人間の心の中に希望よりも不安の方が強くなってくると、今度は目に見えない想像力をできる限り働かせず、今目の前の確実なものを求めるようになるようです。
(次回に続く)
※ 株式会社クラレ 2020年版 新小学1年生の「将来就きたい職業」、親の「就かせたい職業」
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