大地へ潜る翼

根っこと翼 vol.9

 

 私たちが暮らす社会という大樹が、大規模な植え替えの時期を迎えています。現代を生きる日本の若者の多くが、この植え替えの時期に特有の苦しみや痛みを経験しています。あるいはその苦しみや痛みを避けるように安心と安定を求め、根張りの時間を経験しています。

 この植え替えとは何なのでしょうか。もちろん、実際の植物の植え替えのように目に見え、手に触れられるものではありませんので、イメージや観念に頼らざるを得ません。そのため、何か実体的な原因を探そうと、国や政治、マスコミや高齢者など悪者探しが始まり、昨今のSNSに代表されるようなギスギスした雰囲気が生まれるのでしょう。

 それはともかく、この植え替えをより本質的に考えてみるならば、「自由の在り方」が根本的に修正を迫られていることと関係しているのかもしれません。以前お伝えした通り、私たちは100年あまりの時間をかけて(本当は数万年の歴史の積み重ねがあるのですが、進歩の加速度を著しく増したのはここ100年あまりです)、動物的な制約から解放され、人間的な自由を手に入れるために、たくさんの高度な技術を開発し、実装、実践してきました。これは、人間が自由を手中に収めるための大切な取り組みでした。しかし、他方で、こうした高度な技術ゆえの不自由が生まれ始めます。一つは、GPSやAIなど高度な技術そのものが自律をし始め、人間がそれに従うようになったという不自由です。技術と人間の主従関係の逆転です。もう一つは、様々な技術や知識によって採用できる選択肢が無数に登場したことによって、むしろ何も選べなくなるという不自由です。選択肢が限られていれば、シンプルな希望や期待からなのか、誰かに強制され嫌々渋々の心情からなのかはともかく、扉を開け前に進めていたものが、どれを選んでも良いと言われてしまうと、私たちは何も選べなくなってしまいます。これはミヒャエル・エンデが表現していた不自由でした。「望めば叶う」はずの「自由」が、皮肉にも不自由を生んでいく、このプロセスが、私たちの社会の植え替えと関係しているように思います。

私たちや先人たちの「自由」を目指して上方向に向かっていく心の動きが、なぜか不自由に突き当たるという皮肉な現実が、植え替えを迫る要因になっていそうです。だとすれば、現代の日本の若者たちが根っこのほうにエネルギーを集中させ、不安や憂うつなどの気分に苛まれるのはごく自然な心の動きです。そして、そうしたプロセスを経験しているのは、実際に憂うつな気分に苦しんでいるその人たちだけではありません。この土壌を共有している私たち全員に関わることでもあります。この観点に立つことを「共感」と呼ぶのでしょう。他人事ではありません。不登校、引きこもり、うつ病、不安障害など、現代を生きる子どもや大人を苦しめる問題は、この土壌を共有する私たち自身の根張りの現れであり、この根張りこそ、自由と不自由が複雑に入り組んだこの大地に対する落ち着きの取り戻し方であり、この時代の大地に潜り込んでゆこうとする翼の持ち方なのかもしれません。

(終わり)

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