心ってなんだろう? 5/10
「心(こころ)」は、固くて確かな意志や言葉、現実になる手前の段階のゼリーのような状態、つまり「凝り(こごり)」の状態のことを指すのでした。
わたしたちは、この「ぼく」のように人生の大切な決断に迫られたとき、つまり固くて確かな意志や言葉を懸命に生み出そうとするとき、ふと「あのころ」を思い出します。「無限の可能性」に包まれ、何者にでもなり得る一方で、何者にもなっていない「あのころ」。
わたしたちはこんなゼリーのようなどっちつかずの状態と戯れながら、「これから」について真剣に悩みます。悩むということはですから、ゼリー状の「心」との交流を大切にするということでもあります。
一方で、だからこそ悩むということは、大変な苦しみを伴うことでもあります。
特に、はっきりとした結論が性急に求められる状況に立たされたときほど、ゼリー状のどっちつかずの状態は、わたしたちに耐えがたい苦しみをもたらします。
「不登校」や「引きこもり」といった、わたしたちの社会が次々と生み出し続けている、かたいかたい殻の中に閉じこもってどっちつかずのゼリー状にとどまり続けざるを得ない人たちの苦しみは、その耐えがたい苦しみから無理やり解放させてあげようとする周囲からの暴力的な善意と、「無限の可能性」を秘めたゼリー状態にとどまり続けようとする本人の「心(こころ)」とのせめぎ合いによって生じると言えるでしょう。
(次回へ続く)
畠山正文
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