心ってなんだろう? 4/10
「心(こころ)」の語源は、「凝(こご)る」にあるという説があります。「煮凝り」という言葉もありますが、「凝る」をイメージする上で「ゼリー」は最適です。液体と固体の間。どこか水のように流れていきそうでいて、どこか固まりそうな、その中間の状態にあるゼリー。暑い夏には、よく冷やしたゼリーはとても美味しいですね。苦い薬でもゼリーと一緒ならつるんと飲み込めたりします。
この語源に従えば、「心(こころ)」は「モヤモヤ(ドキドキ、ぐるぐる、ぐちゃぐちゃ…)(=液体)」と「言葉(=固体)」との間にある、ゼリーのような状態のことを指します。わたしたちが、この「ぼく」のように「言葉」を失うとき、一度「モヤモヤ(ドキドキ、ぐるぐる、ぐちゃぐちゃ…)」のような液状化した何かに出会います。ここでは、「言葉」にならない「ぼく」の思いを敢えて無理やり「言葉」にしてみれば、「彼女のことはとても大事に思っている。でも、今はサッカー部がとても大切だ。だからと言って彼女のことが大事じゃないわけではない。でもどっちかと聞かれてしまうと、どうにも答えようがない。でも、答えないと伝わらない。…」まさにかきまぜられた液体が渦巻きを描くように、考えが「ぐるぐる」としてしまっている状態です。
この「ぐるぐる」と液状化した状態と、例えば「いや、やっぱり彼女が一番大事だ!(あるいは、部活が一番大事だ!)」という確固たる意志のような「言葉」との間にあるどっちつかずの状態が、まさに「凝り」の状態、つまり「心(こころ)」そのものだと言えるでしょう。言い換えれば、「言葉にならない状態」にこそ、「心(こころ)」が表れるのです。
(次回へ続く)
畠山正文
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