言葉にならない思い

心ってなんだろう? 3/10

とある「ぼく」のストーリー 2

ぼくはもうひとつ、中学生のころのことをなぜだかふと思い出した。

仲の良かった友だちが、部活のレギュラーから外されてしまって、すっかり落ち込んでいた時のことだ。

ぼくはなんと言葉をかけたらよいかわからず、

「また来年があるよ」

と言った。

励ますつもりだった。ぼくたちはまだ2年生。3年生にまたきっとチャンスがある。ぼくは彼に前を向いてもらいたかった。


でも、彼はぼくをにらみつけて、その場を離れて行ってしまった。

ぼくと彼は、それから一切話をしなくなった。

そのときの彼の瞳をぼくは今も忘れられない。

 「ぼく」は、中学2年生の頃のエピソードも、「なぜだかふと思い出し」ました。前回の小学生の頃のお母さんとのエピソードと、きっとどこか共通点があったのでしょう。こんなふうに「なぜだかふと」わたしたちの心を訪れる思い出の中には、現在と過去とを結び合わせる、不思議な引力があります。

 この中学生の「ぼく」が出遭った「彼の瞳」と、小学生の「ぼく」が母とのやり取りで生じた「ゴチャゴチャ」とを、不思議と結び合わせるもの。それは、「言葉にならない思い」です。

 「思いは言葉にしなければ伝わらない」わたしたちはそんなふうによく言います。しかし、ここでは「思いを言葉にしたとたんに伝わらない」ということが起こっています。レギュラーから外されてしまったこの友だちも、お母さんからの愛情に不安をおぼえる小学生の頃の「ぼく」も、相手が思いを言葉にしたとたんに、なにかがずれてしまっているようです。いったいなにが、ずれてしまっているのでしょうか。

 これは、「言葉」と「思い」のずれです。特に、このときの友だちや、小学生のあのときの「ぼく」のように、「言葉にならない思い」でいっぱいのとき、「言葉」は「思い」を引き裂き、人を傷つけてしまいます。

(次回へ続く)

畠山正文

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