希望と絶望

持続可能なこころ vol.7

 「いつも陽キャ」であろうとするAさんの「がまんの持続」は、「ゆらぎの持続」の一つの現れである暗い気分の津波によって、残念ながら持続することができません。がまんはやっぱり良くないことなのでしょうか。しかし、わたしたちの日常には、一時的な感情に振り回されずがまんすることによって、むしろ安定や持続がもたらされることもたくさんあります。仕事や育児、勉強、練習、ゲームのレベル上げなど、つらさや苦しさといった一時的な気分をがまんによって乗り越えることによって、むしろ高いレベルでの安定や持続がもたらされることもあるはずです。だからこそ、先生や親など大人たちは、がまんの大切さを子どもたちに伝えていくのでしょう。やっぱりがまんは良いことなのでしょうか。どちらなのでしょう。混乱してきます。がまんは良いことなのか、悪いことなのか。

 がまんの持続が良いことにつながるためにはたったひとつの条件があります。それは、「希望」です。このがまんを続けていけば、きっと何か良きことが待っている――そうした希望がわたしたちの心の中に仮にかすかでもあれば、がまんによって心は安定したものとして持続します。逆に、がまんの持続が悪いことにつながる条件は、「絶望」です。このままがまんし続けたってどうせ…という心境がわたしたちの心の中に仮にかすかでも訪れれば、がまんは途端に不安定さをもたらし、持続不可能な状態を作り出します。

 心理学の世界ではすっかり有名な「セリグマンの犬」と呼ばれる実験があります。犬がランダムに3つのグループに分けられ、それぞれある装置の中に入れられます。1つ目のグループの犬は、犬が頭を動かすと電気ショックが止まる仕掛けになっている装置に、2つ目のグループは別の装置の犬が受けている電気ショックを同じように受ける仕掛けの装置に、3つ目のグループは、電気ショックを全く受けない装置にそれぞれ入れられました。この結果、1つ目のグループの犬は、自分の力で電気ショックを止められることがわかるので、初めのうちは電気ショックのつらさをがまんしていますが、やがてがまんの必要がなくなり落ち着きます。がまんが希望によって支えられ、より快適になるためのスキルを学んだわけです。2つ目のグループの犬は、自分の力では電気ショックをコントロールできません。このグループの犬は、いつ電気ショックが来るかおびえ、絶望し、やがてうずくまって電気ショックを受け続けてしまいます。その後自分で電気ショックをコントロールできる装置に移されても、何もせずうずくまったままです。がまんが絶望につながる瞬間です。ちなみに3つ目のグループは当たり前ですが、何の希望や絶望を体験することもなく、電気ショックを避けるスキルを学ぶこともありません。

 この実験は、わたしたちにいろいろなことを教えてくれますが、ここでは二つのことに絞って注目します。一つは、目の前の事態を自分の力で何とかできるかもしれないという感覚が、希望を作り出すということ、もう一つは、一度絶望を経験してしまうと、なかなか自分で何とかできる状態になっても希望を復活させることは難しいということです。

(次回に続く)

畠山正文

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