安心とわくわく

根っこと翼 vol.1

 今年も春が過ぎ、新たな環境に少しずつ慣れてくる頃でしょうか。新しい環境に入ると、私たちの心の中には、ふたつの全く異なる気持ちが生じてきます。一つは、「安心」したいという気持ち。今まで当たり前のように慣れ親しんだ生活の仕方や振る舞い方が通用しないことが多かったり、細かな行動や言葉遣いに気を遣わないといけなかったりするので、精神的にも身体的にも疲れます。不安や緊張、疲れは、人を「安心」したいという気持ちに向かわせます。平日の疲れがたまったら休日にまったりリラックスして過ごすと「安心」が得られます。一方で、新しい環境に入ったときに私たちは「わくわく」するという気持ちを持つこともあります。新しい仲間や状況との出会いを喜び、これからどうなっていくのか楽しみだという気持ちです。「安心」と「わくわく」は、どちらも私たちにとって良い感情を表現するものですが、少し違いがあります。どんな違いでしょうか。


 疲れた身体を布団に投げ込んで「ふわ~」と言ってみるとか、かわききった身体をお風呂に放り出して「へえ~」と言ってみるとか、布団やお風呂など柔らかいものや温かいものに受けとめられて、心がとろけ出しそうな時、私たちは「安心」を感じます。これは、私たちの心が落ち着きを求めているためです。落ち着きとは文字通り、落ちて着くということです。「安心」は柔らかいもののほうに落ちて着こうとする心の動きだと言えるでしょう。落ちて着くわけですから、方向としては下の方へ心が動きます。この「安心」したいという心を、根っこを求める心と表現することにしましょう。一方の「わくわく」はどうでしょうか。「安心」とは違って、「わくわく」とした期待や希望を抱くとき、人は空を見上げます。どこまでも広がる空に向かって心が動きます。この「わくわく」したい心を、翼を求める心と表現することにしましょう。


 私たちには、根っこを求める心と翼を求める心、つまり下方向に向かう心と上方向に向かう心の二つの全く異なる心の動きがあります。そして、どうも最近の傾向として、わくわくと空を見上げて翼をはためかせようとする心よりも、安心や落ち着きを求め根っこを張ろうとする心のほうが私たちにとって優勢になっているのではないか、と私は思います。あるいは、わくわくは、学校や仕事などの現実の生活の中よりも、ゲームや動画、SNS、アミューズメントパークの中など、現実とは離れた閉ざされた空間の中でしか体験することができなくなってきているようにも思います。なぜ私たちは翼を求める心を持ちにくくなってしまったのでしょうか。それにはきちんと理由があります。この理由を知らずに、いたずらに前向きになろうとしたり、希望を持とうとしたり、ゲームやYoutubeから離れようとしたりしても、その努力は徒労に終わるでしょう。理由があってそうなっているのですから。その理由を先入観や偏見を持たずできる限り冷静かつ正確に探し当てることとしましょう。いつものようにじっくりと。時間をかけて。

(次回に続く)

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