共感の二つの副作用

不安について考えよう(7)

 不安に対抗する一つ目の手段。それは信頼のおける誰かからの共感でした。心から信頼できる誰かが、自分が体験している不安という霧の中にともに入ってきてくれることが、もやもやした不安に輪郭を与えてくれてすっと心を落ち着かせてくれるのでした。ただしこの方法はとても有効であるいっぽうでうっかりすると二つの困った状況を引き起こす副作用もあるので、念のため付け加えておきましょう。

 一つ目の困った状況は、あまりに不安が深刻な場合、聴いている相手もまたどんどんつらくなってきてしまったり、不安が止まらなくなってしまったりするという場合です。こうなってくると、相手もしんどさのあまり共感どころかその状況から逃げ出したくなってきてしまいますし、相手のその状況を見ていると不安を打ち明けた側はさらに不安が増幅してしまいます。こうした状態になるくらい不安が深刻な場合には、深く濃い不安の霧の中に入るためのトレーニングを専門に受けている、カウンセラーなどに聴いてもらうほうがよいでしょう。

 二つ目の困った状況は、不安への共感が差別や偏見を生み出すという場合です。特に最近のように、LINEやTwitterなどのSNSを介したやり取りの中での共感では、表情や声のトーン、間合いや雰囲気といった、不安というもやもやに対して時間をかけながら徐々に少しずつ輪郭が与えられていくという本来的にはとても大切な手続きが一気にすっ飛ばされ、「文字」というものすごく極端な明確化が劇的に進んでしまいます。そのため、不安を落ち着かせるための「文字」が極端になり過ぎてしまって、「結局、あいつのせいで私たちこんなに不安になってるんだよね。あいつが最悪だよね」という具合に、いつの間にか誰か他の人をやみくもに傷つけることで不安を落ち着かせることになったり、そんなふうに極端な悪者探しや差別、偏見が、またさらなる不安をわたしたちの心に呼び起こしたりすることもあります。ですから、不安を落ち着かせるという本来の目的を超えて、不安への共感がエスカレートし過ぎて差別や偏見や他の人への攻撃、いじめなどにつながりそうなときには、スマホやタブレットなどを滑らす指の動きを止め、ひと呼吸置くように心がけることをおすすめします。

 だからと言ってこうした副作用ばかり気にしていては、さらなる不安に取り憑かれてしまいます。副作用をきちんと心に留めながらも思い切って誰かに不安を打ち明けてみるというのはまずできる大切な対処です。

 しかし人によっては心からの共感を得られるような信頼できる誰かがそもそも身近にはいないということもあるでしょう。そこで、不安に対抗する二つ目の手段を次にご紹介することにしましょう。

(次回に続く)

コメント

タイトルとURLをコピーしました