スマート化と心の痛み<その3>~コミュニケーションの2つの目的~

 「スマート」と「コミュニケーション」の間には厄介な問題がある、と前回お伝えしました。この厄介な問題は、「コミュニケーション」の目的について考えてみることで浮き彫りになってきます。

 コミュニケーションには大きく分けて2つの目的があります。一つは、前回も少し触れた通り、伝えたいことや情報が相手にきちんと伝わるという目的です。前回の母娘のLINEでのやり取りも、「洗濯物を取り込んでおいて欲しい」というお母さんの意思(伝えたいこと)が娘さんに伝達されることを目的としたコミュニケーションでした。お母さんの意思が「スマート」に娘さんに届いたという意味で、こちらのコミュニケーションの目的は、あのやり取りでしっかりと達成できていたことになります。

 もう一つ、コミュニケーションには目的があります。それは、「親密さの確認」という目的です。例えば挨拶。私たちは「おはよう」とか「おやすみ」とかと挨拶をします。挨拶は互いに親しい間柄であることの確認として機能しています。挨拶をしたのに無視された時の独特の悲しさは、この親密さの確認ができなかったために生じる悲しさです。

 さて、この「親密さの確認」というコミュニケーションの目的に焦点を合わせると、時に「スマート」であるせいで、この目的を果たせなくなってしまうことがあります。例の母娘のLINEでのコミュニケーションで起こっていることもそうです。失恋で痛手を負った娘さんは、お母さんとの親密さを確認するためのコミュニケーションを求めていました。ところが、お母さんのほうはと言うとスマートな自分の意思の伝達という、もう一つの目的でコミュニケーションを求めていました。お互いのコミュニケーションのこの目的のズレが、「いつになく素直だねー」というお母さんの何気ない一言に、娘さんにとっての過剰な意味(「いつもは面倒臭い人間なんだ…」)を帯びさせてしまったのです。そのことで娘さんの「親密さの確認」という目的は損なわれてしまいました。その後三日間もお母さんと口を利かないというコミュニケーションの不通状態を生み出すほどに。このことこそが、「スマート」と「コミュニケーション」との間の厄介な問題です。

 しかし、ちょっと待って下さい。そもそもLINEやFacebook、TwitterなどのSNSは、「親密さの確認」をこそ目指した道具ではなかったでしょうか。私たちは「親しくなろう」という互いの意思の確認のために、しばしば初対面でスマホをふるふるしたり、QRコードの交換をしたり、いいねボタンを押したりしています。現代の「スマート」は、「意思や情報の伝達」以上に、「親密さの確認」というコミュニケーションのほうをこそ目的にしているはずではないでしょうか。なぜ、「親密さの確認」を目的にしているにもかかわらず、「スマート」であるせいで親密さが損なわれるというあべこべな状況が生まれてしまうのでしょうか。そこには、「スマート」という技術の持つ、ある「偽装」が関係しています。

(次回に続く)

畠山正文

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