スマート化と心の痛み<その2> ~スマートに切り捨てられるもの~

 ある母娘のLINEでのやり取りです。

 このやり取りで驚いたお母さんが家に帰り着くと、娘さんはたった一人真っ暗な部屋の中で枕に顔をうずめて泣いていました。その後、三日間くらい娘さんはお母さんとは一切口をきかず、家庭の中が不穏な空気に包まれました。

 しばらくして娘さんが落ち着いてからわかったことですが、このLINEのやり取りをしたちょうどその日、娘さんは2年間交際していた恋人から突然別れを切り出され、とても傷ついていました。彼氏ができてからというものすっかり関わりが薄くなってしまったお母さんとこんなときには話がしたい。なんで私が一方的にこんな振られ方をしなきゃいけないのか、お母さんにこの気持ちを聞いてもらいたい。そんな思いを抱え、うつむきながら家路についていたところを、お母さんからLINEが入ったのです。あー、お母さんからだ嬉しいなと思いながら返事をすると、「いつになく素直だねー」という余計な一言が付け加えられています。

 「もう面倒臭くなった…」そんな言葉とともに恋人から別れを切り出された娘さんにとって、お母さんのこの余計な一言の中に「いつもは素直じゃなく、面倒臭い人間なんだ…」という裏のメッセージがなぜだかありありと読み取れてきます。こうして娘さんはお母さんとのLINEを続けることも、会話をすることさえもすっかり嫌になってしまったのでした。

 さて、この何気ない母娘のLINEでのやり取りの中に、「スマート」という技術によってもたらされた「痛み」があります。どういうことでしょうか。なぜ「スマートな(利発な)」技術によって「痛み」がもたらされるのでしょうか。

 この母娘のLINEでのやり取りが、LINEという「スマート」な技術によらず、直接面と向かってコミュニケーションをしていたらどうだっただろうかと想像してみると、この疑問への足がかりが見えてきます。

 おそらく、このお母さんは「洗濯物を取り込んでおいて」というお願いをする前にすぐに娘さんの異変に気付いたはずです。娘さんのあまりに元気のない表情を目の当たりにしてお母さんは真っ先に当惑していたはずです。ですから、対面でのコミュニケーションであれば、第一声は「どうしたの?」とか「何かあったの?」とかといった娘さんを心配する声かけであったはずなのです。しかし、LINEでのコミュニケーションではそうはなりません。なぜでしょうか。

 ここで、「スマート」という言葉が「利発な、賢い、素早い」という意味であったことを思い出しておきましょう。誰か人のことを「あの人は賢いなぁ」と評価する時、私たちは一般に仕事や学習の正確さや速さを見て評価することがあります。ある目的に正確にかつ速くたどり着くこと、これが私たちが馴れ親しんだ「賢さ」の一つの指標です。「スマート」という技術は、ある目的のために正確に速くたどり着くことを目指した技術です。その意味では、お母さんの要求「洗濯物を取り込んでおいて欲しい」という情報が、正確にかつ速く娘さんのもとへたどり着いたわけなので、「スマート」な技術はその期待通りの役割を果たしたことになります。では、問題はどこにあるのでしょう。

 次に考えなくてはならないのは、「コミュニケーション」という問題です。「コミュニケーション」と「スマート」との間には、少々厄介な問題があるのです。

(次回に続く)

畠山正文

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