ゆらぎの持続

持続可能なこころ vol.5

 「石の上にも三年」ということわざがあります。一説によると、これは達磨(あのだるまさんのモデルになった人です)という仏教の禅師が冷たい石の上で座禅を組むことを三年ずっと続けていたら、やがて冷たい石が温まってきてそれなりに居心地の良い場になったというエピソードに由来するそうです。一般に、新しい場所に馴染めず居心地が悪くて抜け出したくなるようなときに「石の上にも三年だよ」とがまんするよう説得される場合にしばしば使われます。つまり、わたしたちは「がまんの持続」を強調してこの言葉を使います。

 ところで、達磨さんはそもそもどうして石の上に三年も座っていたのでしょうか。このことわざの由来となった石がどこにあったのかは全くわかりませんが、おそらく中国内陸部河南省にある嵩山という山のどこかだったかもしれません。あの有名な少林寺がある山です。三年も座っていれば、風が強い日も弱い日もあったでしょう。嵐のような雨の日も透き通るような青空の日もあったでしょう。凍えるように寒い日もうだるように暑い日も、雪もみぞれも雷も体験したことでしょう。山の木々の枝や葉に注目すれば、それらは絶えずかすかな風に反応してゆれ動いていますし、虫や鳥たちは絶えず辺りを飛び回っています。それだけではありません。きっと達磨さんの心の中でも「今日は暑い」とか「ちょっと気分が悪い」とか絶えずいろいろな気持ちや考えが出ては消え出ては消えを繰り返し、ゆらぎ続けていたに違いありません。「がまんの持続」が重要なのであれば、わざわざそんな山の中の石に座るのではなく、建物の中の守られていてほどほどに柔らかく安定した場所で座っていたほうが良いと思いませんか。どうしてわざわざそんな過酷な石の上などに達磨さんは三年間も座っていたのでしょうか。

 それは、「がまんの持続」が大切なのではなく、「ゆらぎの持続」が大切であることを体感するためだったのではないか、と思います。大自然の中で座っていると、自然は絶えずゆらぎ続けていてひと時も一定ではないことがよくわかります。そしてそれは、自分自身の心の中に訪れてくる「よしっ頑張るぞ!」とか「あぁもう疲れた…」といった気分や気持ちのゆらぎともよく似ています。大自然も様々なゆらぎを様々に見せながらも、大いなる安定や持続を見せてくれますし、わたしたちの心もまた様々な気分や気持ちのゆらぎを様々に見せながらも、もっと大きな安定や持続を経験しています。こうしたことを心身を貫いて理解できるようになるために、わざわざ過酷な石の上に身を置いて達磨さんは三年も座禅を続けていたのだと思います。大自然はひと時もがまんなどしていません。絶えずゆらぎ続けています。にもかかわらず、安定して持続しています。これが「ゆらぎの持続」です。

(次回に続く)

畠山正文

まえへ

はじめから

つぎへ

コメント

タイトルとURLをコピーしました