幸せと心

心ってなんだろう? 6/10

とある「ぼく」のストーリー 5

何となく就職した企業だったが、案外仕事は楽しかった。

初めての営業という仕事も自分に結構向いているのかもしれない、そう思った。上司は少し頼りない人だが、同僚や先輩には恵まれ、職場の人間関係も充実していた。

よいお客さんに当たることも多く、同じサッカー好きのお客さんと一緒にサッカー観戦に出かけることもあった。営業成績は抜群というほどではないが、それなりにコンスタントに受注できるお客さんも増え、楽しくやっていた。

入社して6年が経ったころ、ぼくは大学時代のサークルの後輩だった女性と2年間交際していて、そろそろ身を落ち着けるころだと周囲から言われたので結婚することにした。

ぼくの生活は何もかもが順風満帆だった。

ただ一つ、気掛かりだったのは、上司の課長のことだ。

課長はぼくの結婚式の直前に会社を辞めた。噂では精神的な病気だったらしい。

課長はとても穏やかでいい人だった。ぼくはとても話しやすい人だなと思っていた。

でも、いつも部長から怒鳴られ、ぼくの先輩たちからはダメな上司だと言われ続けていた。

だからぼくはずっと課長のことをかわいそうだなと思っていた。

でも、ぼくの結婚式のスピーチをお願いしていたのに直前に退職されてしまったので、やっぱりあの課長は信用が置けないと腹を立て、その後はしばらく、ぼくも職場の人たちと一緒に悪口を言い合うようになった。

 わたしたちが、生活に充実感を抱くとき、それなりの幸福感を抱くとき、わたしたちの心は、様々な社会的な衣装を身にまとっていることに気づきます。「会社員」という衣装、「セールスマン」という衣装、「サッカーのサポーター」という衣装、「よき後輩」という衣装、「新郎」という衣装…。

 こうした衣装が、本来はゼリー状で本当のところよくわからず、つかみきれない「心(こころ)」というものに、目に見える「形」を与えてくれます。そして、こういう幸せな時はたいてい、身にまとっているそれぞれの衣装同士はあまり大きなギャップや矛盾を抱えてはおらず、心は比較的スムーズにそれぞれの衣装を脱ぎ着できる状況にあります。

  例えば、「会社員」と「新郎」という衣装は、この「ぼく」にとってそれほど矛盾するような衣装ではないので、状況に合わせて楽に脱ぎ着ができています。この状態のことを、「ぼく」は「順風満帆」と言っているわけです。

 ですから、わたしたちが充実していると感じるときや幸せだなと感じているときは、わたしたちは「心」が社会的な衣装という「形」にうまくおさまっているので、ゼリーのようなよくわからない「心」を直接には見ておらず、衣装である「形」のほうを見ていることが多いものです。

 このように充実し幸せに感じているときには、わたしたちは「心」を直接には見ておらず「形」ばかりを見ているからこそ、この「ぼく」の上司である課長のようにうまく衣装を着こなせず「心」が裸になって凍えそうな状態の人に対して、まさに「心」ない態度や行動をしばしばとってしまうことがあります。わたしたちが、人に対する思いやりをなくすときには、「形」ばかりにこだわって「心」を見失ってしまっていることが多いようです。

(次回へ続く)

畠山正文

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