あえて言葉にしない

心ってなんだろう? 9/10

とある「ぼく」のストーリー 8

会社での人間関係がうまくいき始めると、不思議なことにやりがいのある、大きな仕事が舞い込んできた。ぼくは新しい営業所の立ち上げに関わることになった。毎日毎日残業ばかりの日々が続いた。ぼくは認められていることが嬉しくて、がむしゃらに仕事をした。

その一方で、妻との関係はどんどんぎくしゃくし始めた。夜の11時、12時に帰宅し、朝は6時前には出勤する生活。土日も出勤することが多く、妻や長男と顔を合わせる時間も極端に減っていった。

月に1回くらいの休日もぼくは疲れてゆっくりしたいので家でゴロゴロしていると、妻は長男を連れて2人でどこかへ出かけて行った。

そんな夫婦のすれ違いの生活が何年か続いたある日、このままではまずいと思い、ぼくは妻とこんな会話をした。

ぼく 「今度、一緒にディズニーランドに行こう!」

妻 「・・・なんで?」

ぼく 「子どもが生まれてから行ってないじゃない?」

妻 「・・・そうだね・・・」

ぼく 「どうした?行きたくない?」

妻 「別に・・・」

このまま話は終わり、またぼくたちのいつものすれ違いの日々が始まった。

 わたしたちが暮らす現代社会は、心が溶け合う瞬間を一度や二度経験すれば、うまくいくという社会ではなく、何度も何度も繰り返し経験する必要がある社会のようです。

 「ぼく」も長男の誕生をきっかけに、ようやく会社での心の通い合いが起こり、仕事が軌道に乗り始めたと思ったのに、今度は妻との心の通い合いが途切れてしまいました。

 以前お伝えしたように、心は言葉にした途端にずれてしまいます。このことに敏感な社会は、言葉にしないことを美徳とする文化を長い時間をかけて築き上げてきました。わが国日本も、わかりきっていることを言葉にするのは「野暮」なことであり、言外の心を察し、空気を読むことを大切にしてきました。つまり、日本人はお互いに心が溶け合い、分かり合っているので、言葉は必要最低限でよいということを前提とした文化を築いてきたと言えます。

  妻のセリフの「・・・」には、あえて心で感じていることを言葉にしないという日本人らしさが現れているように思えます。

 しかし、このままではすれ違いが深まり、夫婦の深刻な危機が訪れてしまいそうです。

(次回へ続く)

畠山正文

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