向き合うのにはワケがある


真向ひにぢつととまれる金魚かな

富安風生

 「あの人はどうしてあの時あんなことしたんだろう?」

 「あの人が言った言葉が頭から離れない」

 「あの時の感動的な景色が忘れられない」

 わたしたちは、なぜだかよくわからないけれども、心にふいに訪れた思いや考えにとらわれることがあります。なにかきっかけがあることもありますが、なんのきっかけもなく心をふと訪ねてくることも多いものです。

 そうして訪れた思いや考えが良いものであることも多いですが、わたしがお会いする多くの方はたいてい悪いものとして経験されます。ですから、それはとっても苦しく、つらい体験です。

 周囲の方から、「そんなこといつまでも考えていても仕方ないよ」「もう気にしなくていいんじゃない」「もっと楽しいことを考えよう」などとアドバイスされたり、自分自身でその思いや考えを追い出そうと必死で努力しますが、なかなかその思いや考えの訪問を、心から締め出すことはできません。

真向ひにぢつととまれる金魚かな

富安風生

 心にふいに訪れた思いや考えに、「ぢつととまれる」自由。そんな自由が、わたしたちが暮らす生活空間の中にずいぶんと居場所を失っている、そんなふうに思います。そんな自由を保障する金魚鉢が失われてしまっている、そんなふうにも思います。

 カウンセリングという金魚鉢の中で、そうした思いや考えにちょっと付き合ったり、じっと向き合ったりしていると、意外と追い出したり、締め出したりしなくてはいけないものばかりではなく、不思議で面白く、興味深いものだったりすることも多いものです。そして、その訪れには大切なワケがあったことに気づかれることも多いものです。

畠山正文

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