夢の跡をどう生きるか


夏草や 兵どもが 夢の跡

松尾芭蕉

 草の根民主主義(Grassroots Democracy)とは、アメリカ合衆国建国の父のひとり、第3代大統領トーマス・ジェファーソンが大切にした考え方とされています。貴族や大金持ち、大企業など一部の権力者が主導するような民主主義でも、巧みな情報操作やイメージ戦略によって大衆を扇動するような民主主義でもなく、地域や生活という大地に深く根差した住民たちが、リアルな生活の実感をもとに自分たちの生活や生き方について自分たち自身で深く熟考、熟議し、重要な意思決定に参画することによって、本当の民主主義を実現しようとする考え方です。

 アメリカ建国から遡ること90年足らず、北米の地では血で血を洗う植民地戦争が断続的に繰り広げられていた頃、日本では松尾芭蕉が門人曾良を連れ奥州平泉の地を訪れていました。芭蕉の瞳には、源義経が最期を迎えた地、高館から眺めた夏草茂る広大な大地の上に、兵どもが命を賭して闘う姿がまるで夢かビジョンのように映っていたのかもしれません。そしてその眼差しには、人間の栄枯盛衰の跡に広がる草の根のたくましい息遣いもまた同時に映っていたことでしょう。

夏草や 兵どもが 夢の跡


 2017年頃から子どもや若者の間で大きな流行を見せている、「PUBG」「フォートナイト」「荒野行動」などのバトルロワイヤル系のオンラインゲームの中には、まさに兵たちの集う叢(くさむら)が広がっています。このバーチャル・リアリティという、まさに夢の世界にも、人間の、兵どもの実に多くの栄枯盛衰が日々恐ろしい速さで繰り返され、また広大な範囲にわたって繰り広げられています。そしてそこには、かつて麦わら帽子をかぶってわれ先にと獲物を狩るという闘いを繰り広げていたあの子どもたちの叢とは、異なるリアリティが展開されているように思います。この新しいリアリティの登場によって、すっかり麦わら子どものあの叢の世界や、地域社会、コミュニティといった草の根の生活実感を支えた大地は、良くも悪くも夢の跡と化してしまいました。さて、この夢の跡を生きる私たちにとって、アメリカ由来の草の根民主主義は果たして理想や理念になり得るのでしょうか。ひょっとすると、わたしたちには全く新しい理想や理念の構想が必要なのかもしれません。

畠山正文

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