包まれる贈り物


わがもいで 贈る初枇杷 葉敷きけり

杉田久女

 ちょっとした刺激でも傷みやすい繊細な枇杷の実。そんな枇杷の実に葉を敷いて贈る心遣いから、柔らかさと温もりが感じられます。「花衣ぬぐや 纏はる ひもいろいろ」など、女性の艶っぽさが有名な杉田久女ですが、この句からは女性的な艶やかさも去ることながら、母性的なやさしさもまたしみじみと伝わってきます。繊細なものを大切に大切に取り扱おうとする姿に、女であると同時に母である久女の慈悲深い心が滲んでいます。

わがもいで 贈る初枇杷 葉敷きけり

 明治末期、東京のエリート女学校を卒業した久女を大人として迎え入れようとした時代は、女性としての成熟や果実を、「良妻賢母であること」に求めていました。そうした時代の要請に必死で抗い俳句という芸術に打ち込み抜いた久女の姿は、太平洋戦争直後、久女が福岡の精神科病院で逝去した後に、彼女の俳句という芸術作品とは全く切り離された形で世に広まることになります。松本清張や吉屋信子といった著名な作家たちが、久女のスキャンダラスな一面を巧妙に創作物として仕立て上げたのです。現代に蔓延する、週刊誌やワイドショーでのアイロニカルで不埒な報道の先駆けのひとつと言えるでしょう。

 改めて久女が遺した果実を丁寧に取り扱い、葉を敷いて世の中に贈り直したのは、田辺聖子という作家でした。田辺の久女を描く文章からは、久女にも通ずる慈悲深さが伝わります。そして、田辺の包み込むような慈悲深さと、久女の「わがもいで」という表現にも通ずる田辺の透徹した自我の強さとが、久女とその作品たちをもう一度光輝くものへと変えてくれました。こうした久女のイメージの変転には、実に40年近くの歳月が必要だったようです。


  カウンセリングという仕事をしていると、久女のように、時代が求める成熟のあり方と、ご本人が持っている自然な実りのあり方とに、大きな乖離を抱えている方と多くお会いします。ご本人は、周囲からの心なく乱暴な言葉に、すっかり心が傷んでしまいます。ご本人からあふれ出る、あらゆる思いや言葉、表現の数々を、田辺聖子のように丁寧に葉を敷いて贈り直すことができたとき、その方は本ものの実り、そしてイメージの変転を得るのだろうと思います。これをカウンセリングと呼ぶのだとつくづくと思います。

畠山正文

参考文献

田辺聖子 『花衣ぬぐやまつわる… ―わが愛の杉田久女』 集英社

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